旧東ドイツの拘置所跡 ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館を訪ねて
ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館を訪れた。ベルリンの中心部から北東に位置するホーエンシェーンハウゼン地区に建つ、旧東ドイツ時代の秘密警察こと国家保安省(通称シュタージ)の拘置所跡で、一般公開されている施設だ。
当時の東ベルリンでは「ホーエンシェーンハウゼン」と言えばこの拘置所のことを指すくらい人々に知られ、恐れられた場所だが、現在は他の数ある観光名所・美術館の陰に隠れてか、知名度はそれほど高くない。無論ここはいわゆる「負の遺産」であるため、積極的に知ろうとしない限り、通常のベルリン旅行ではなかなか訪れることはないだろう。実際、ベルリン在住の筆者が訪れたのも、つい最近のことだ(2月に訪れてすぐにブログを書いていたのに、下書きのまま放置してしまい公開するのが半年も後になってしまった。反省)。
この建物はもともと、ナチスによって作られた大調理場で、終戦後にソ連の手に渡り、1946年まで軍の収容所が設置されていたところだ。それをシュタージが1951年に引き継いだあとは、1960年の拡張工事を経て1990年までのおよそ40年の間、中央の裁判前拘置所として使用されていた。
記念館では毎日ドイツ語または英語によるガイドツアーが行われていて、そのほとんどが当時実際に拘留されていた方々による案内だ(空きがあれば飛び入り参加もできるようだが、オンライン予約を事前にしておいた方がベター)。私が参加したツアーでも、ガイドの男性が拘留時の理不尽な扱い、劣悪な環境などについて、熱く、詳しく語ってくださった。
ガイドツアーではまず地下の独房、通称『Uボート』に案内された。窓もない狭い小部屋には、木のベッドと簡易トイレが置かれるのみ。ソ連軍の収容所だった当時、囚人たちがこんなところに閉じ込められていたのかと思うと恐ろしい。
シュタージによって捕らえられた主に政治犯とされる人たちは、増築された建物内にある独房に拘留され、常につけっぱなしの照明のもと、眠ることもできず、昼夜問わず行われる取り調べで自白を強要されたとのこと。
ガイドの男性は、自身も拘留されていたというこのフロアで急にエモーショナルになり、こちらが驚くくらい大きな声でジェスチャーを交えて当時の状況を語ってくれた。生き証人による話を聞く、というのはこういうことか、とまさに実感。
拘置所へは、外見はそれとは分からないよう、鮮魚店や青果店の名前を冠した軽トラックが護送車の役目をつとめ、位置や距離感覚を失わせるため、回り道をしながら通常の倍以上もの時間をかけて人々を連行したそうだ。映画『善きひとのためのソナタ』や前の記事で取り上げた『Nahschuss』にもこれに似た軽トラが出てくるシーンがある。
取調室はいくつもあり、ここでも当時の様子が再現されている。
古臭い壁紙や床材の模様などが、より一層雰囲気を醸し出しているような気がする。
こちらは『虎の檻(Tigerkäfig)』と呼ばれる屋外の独房。囚人の頭上にあるフェンスの向こうには、武装した警備員が立ち、監視するための場所が見える。
二時間のガイドツアーが終わり、施設内のカフェでランチを食べたあとは常設展を見学。
シュタージに関する資料などが見られる常設展は入場無料だ。
※ちなみにガイドツアー料金(大人6ユーロ)は現地の窓口でカード支払いが可能だが、カフェは不可(2022年現在)。ランチ休憩を挟みながらじっくり見学したい、という方は現金のご用意をお忘れなく。
シュタージ幹部たちのオフィスも見ることができた。
ベルリンが東と西に分かれていた時代、『壁』を越えて西側へ逃げようとした人々の多くが命を落としたことは周知のことと思うが、実際にシュタージがどのように組織だった仕事をしていたか、政治犯として収監された人々がどのような生活と拷問による自白を強いられていたか、その実態に触れる機会はドイツに住んでいてもなかなかない。
このホーエンシェーンハウゼン記念館や、シュタージ博物館を訪れる機会が作れたら、ぜひ足を運んでほしいし、関連した映画などを鑑賞するのもオススメだ。
ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館への行き方
アレクサンダー広場からトラムM5に乗れば一本で着きます。
Gedenkstätte Berlin – Hohenschönhausen (Memorial)
Genslerstraße 66, 13055 Berlin
https://www.stiftung-hsh.de/
文と写真:萬谷衣里 Eri Mantani プロフィール