映画『ロストックの長い夜』に見る難民襲撃事件とピアノを弾く青年について
30年前の今日、ロストックで暴動が起きた。1992年の8月22日から26日にかけ、人種主義を掲げるネオナチによる外国人排斥運動が過激化し、ロストックの郊外・リヒテンハーゲン地区でロマやヴェトナム人たちが襲撃された大事件で、警察もお手上げ状態になり、収束するのに4日もかかったという(本日のtagesschau記事)。
ロストックは私が留学していた北ドイツの湾岸都市だ。当時(2007〜2012年)は何事もなく、落ち着いた留学生活ができていたが、ロストックで勉強していると言うと「旧東だけど大丈夫?」と心配する人はいたし、恩師には(冗談まじりではあったが)「他に誰もいない電車でネオナチっぽい外見の人物と乗り合わせたら車両を移動しろ」と何度も言われていたので、こんなに平和な町だけど以前は怖いところだったのかしらん、これがいわゆる旧東ドイツに住むことなのかなあ、なんて無知な私は漠然と思っていた。事件について小耳に挟むも、留学当初は今のような気軽さで過去の情報にアクセスすることができなかったし、恐ろしいことがあったらしいとは認識するも、その背景や詳細については何も知らないままだった。この映画を観るまでは。以下・予告編です。
映画『ロストックの長い夜(原題:Wir sind jung. Wir sind stark.)』は、この実際に起きた難民襲撃事件がベースになっている。登場人物(ドイツ人の青年グループ、ヴェトナム人労働者など)は架空のキャラクターだが、映画の後半、亡命申請者たちが住む収容施設に火炎瓶が投げ込まれて火災が起こる中、野次馬たちが拍手喝采するようなシーンなどは決して脚色されたものではなく、本当にあったことである。
とにかく名作なので、映画の内容は本編を観ていただくこととして…
ディティールについて少し。
主人公のシュテファンがつるんでいる仲間の一人に、ピアノを弾く若者がいるのだ。仲間と言ってもクレイジーな輩ばかりで、ネオナチ思想の人たちだ。そんなどうしようもないグループの中でも一番いっちゃっているロビーが、シュテファンの家を訪ねるのだが、誰もいない居間にあったアップライトピアノに引き寄せられるように座り、勝手に演奏するシーンがあるのである。ぽろりぽろりとバッハを奏でるロビー。そしてピアノの音を訝しく思ったシュテファンの父親(政治家)が二階から降りてきて、招かれざる客である息子の不良仲間と対面する。とても印象的なシーンだが、ここで彼にピアノを弾かせた意味とは?と考えるとなんだか悲しくなるのだ。

最後にこの映画を観たのはずいぶん前で、曲目が定かではない。バッハの何の作品だったかな。また近いうちに観ようと思う。
念のため追記するが、ロストック在住中、外国人だから危険な目に遭ったということは皆無だった。「ひょっとしたらアブナイ人かも?」というようないでたちの人物を見かけたり、目の前で酔っ払いに自転車を盗まれそうになったことはあるが、いたって平和で穏やかな町だったし、現在もそうである。留学当初は辺鄙な場所にあった外国人登録センターも市庁舎前に移り、多くの外国人にとって憂鬱なビザ取得のための手続きも、気持ちやアクセス面で少し楽になったのではないかと思う。
ただ私がこんな風に感じるのは、住んでいたのが市の中心部だったせいもあるかもしれない。襲撃の舞台となったリヒテンハーゲン地区の高層住宅周辺には一度だけ行ったことがあるが、雰囲気は明らかに中心部のそれとは異なっていた。大きなヒマワリが描かれたその高層住宅は、バルト海沿岸のリゾート地・ヴァルネミュンデへ向かうSバーンの車窓からも見ることができ、その象徴的な黄色い花が青空の間に覗くたび、事件について思いを巡らしたものである。
こちらの記事も参考にさせていただきました。
●ドイツニュースダイジェスト 『ロストックの警鐘』
Image © Wir sind jung. Wir sind stark.
ベルリンの旧国家保安省中央庁舎、シュタージ博物館を訪れて
旧東ドイツ時代に関連する映画や施設の話題が続くが、今回取り上げるシュタージ博物館も、2月に訪れたものだ。
ここを訪れようと思ったのは、シュタージに関連する施設をひととおり見ておきたかっただけでなく、テレビドラマシリーズ『WEISSENSEE(ヴァイセンゼー)』のロケ地になった場所を見てみたい、というミーハー精神もあったことを告白する。
秘密警察・国家保安省(シュタージ)の中央庁舎であるから当然だけども、建物は外観からしてとにかく威圧的。

入り口付近に見える蜂の巣模様のカバー?は、送迎車から建物に出入りする人物が遠方からキャッチされてしまうことを避けるために、後から付け足されたそうだ。用心深いことこの上ない。


この日もツアーを予約。時間に合わせて集合場所である玄関入り口付近で待機。
ツアーは月、水、金、土曜日のいずれも13時(ドイツ語)15時(英語)に行われている。ここからオンラインで予約可。

館内で写真撮影をしたい人は受付で入場料(8ユーロ)とは別に、撮影料を払う必要がある。うろ覚えだが1ユーロくらいだったはず。支払うとミニバッジがもらえる。

おなじみの護送車が展示される横を通って、建物の上階へ。


通された会議室風の部屋に置かれた椅子は満席になり、この博物館と旧東ドイツ時代のシュタージの仕事ぶりについて、案内人の男性からおよそ1時間におよぶ説明を聞いた。特に印象的だったのは、日常生活の中で隣人同士がスパイ活動をしていた、その方法だ。ジョウロに隠し込まれたカメラで、水やりする風を装ってスパイ対象者の写真を撮っていたとか、007さながらのテクニックではないか。
ツアー(というよりお話)が終わると、参加者は自分のペースで展示を鑑賞くださいということになり、そのまま上階から一部屋ずつ見て回った。

スパイする方法やグッズもそうだが、スパイとして内密に働く人々がシュタージによってどのようにスカウトされ、表向きはどのように生活していたか、ということに触れた展示なども興味深かった。スパイとなったのは一般の人々の他、シュタージに協力することで活躍の場所を保証されたミュージシャンなどもいたらしい。

シュタージで職務につく人は一人三役、四役なんて朝飯前なのか。異なる年齢、出生地、職業が書かれた同一人物の身分証明書だ。

建物の規模が大きい分、展示にもボリュームがある。こういう旧東ドイツのインテリアセンスって嫌いじゃないというか、むしろ好きかも。



建物の外にも展示は続いていて、こちらは壁崩壊までの時代を追った写真資料が見られる。

こういう建物にはカラフルな展示が映える。


朽ちた建物が隣接しているし、シュタージ博物館はなんというか、やっぱり少し怖いようなところでもある。でも、来てよかったと思う。
シュタージ博物館への行き方
アレクサンダー広場から地下鉄U5に乗れば一本で着きます。
Stasimuseum Berlin
Normannenstraße 20/Haus 1, 10365 Berlin
https://www.stasimuseum.de/
旧東ドイツの拘置所跡 ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館を訪ねて
ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館を訪れた。ベルリンの中心部から北東に位置するホーエンシェーンハウゼン地区に建つ、旧東ドイツ時代の秘密警察こと国家保安省(通称シュタージ)の拘置所跡で、一般公開されている施設だ。
当時の東ベルリンでは「ホーエンシェーンハウゼン」と言えばこの拘置所のことを指すくらい人々に知られ、恐れられた場所だが、現在は他の数ある観光名所・美術館の陰に隠れてか、知名度はそれほど高くない。無論ここはいわゆる「負の遺産」であるため、積極的に知ろうとしない限り、通常のベルリン旅行ではなかなか訪れることはないだろう。実際、ベルリン在住の筆者が訪れたのも、つい最近のことだ(2月に訪れてすぐにブログを書いていたのに、下書きのまま放置してしまい公開するのが半年も後になってしまった。反省)。

この建物はもともと、ナチスによって作られた大調理場で、終戦後にソ連の手に渡り、1946年まで軍の収容所が設置されていたところだ。それをシュタージが1951年に引き継いだあとは、1960年の拡張工事を経て1990年までのおよそ40年の間、中央の裁判前拘置所として使用されていた。
記念館では毎日ドイツ語または英語によるガイドツアーが行われていて、そのほとんどが当時実際に拘留されていた方々による案内だ(空きがあれば飛び入り参加もできるようだが、オンライン予約を事前にしておいた方がベター)。私が参加したツアーでも、ガイドの男性が拘留時の理不尽な扱い、劣悪な環境などについて、熱く、詳しく語ってくださった。

ガイドツアーではまず地下の独房、通称『Uボート』に案内された。窓もない狭い小部屋には、木のベッドと簡易トイレが置かれるのみ。ソ連軍の収容所だった当時、囚人たちがこんなところに閉じ込められていたのかと思うと恐ろしい。


シュタージによって捕らえられた主に政治犯とされる人たちは、増築された建物内にある独房に拘留され、常につけっぱなしの照明のもと、眠ることもできず、昼夜問わず行われる取り調べで自白を強要されたとのこと。
ガイドの男性は、自身も拘留されていたというこのフロアで急にエモーショナルになり、こちらが驚くくらい大きな声でジェスチャーを交えて当時の状況を語ってくれた。生き証人による話を聞く、というのはこういうことか、とまさに実感。



拘置所へは、外見はそれとは分からないよう、鮮魚店や青果店の名前を冠した軽トラックが護送車の役目をつとめ、位置や距離感覚を失わせるため、回り道をしながら通常の倍以上もの時間をかけて人々を連行したそうだ。映画『善きひとのためのソナタ』や前の記事で取り上げた『Nahschuss』にもこれに似た軽トラが出てくるシーンがある。

取調室はいくつもあり、ここでも当時の様子が再現されている。
古臭い壁紙や床材の模様などが、より一層雰囲気を醸し出しているような気がする。

こちらは『虎の檻(Tigerkäfig)』と呼ばれる屋外の独房。囚人の頭上にあるフェンスの向こうには、武装した警備員が立ち、監視するための場所が見える。

二時間のガイドツアーが終わり、施設内のカフェでランチを食べたあとは常設展を見学。
シュタージに関する資料などが見られる常設展は入場無料だ。
※ちなみにガイドツアー料金(大人6ユーロ)は現地の窓口でカード支払いが可能だが、カフェは不可(2022年現在)。ランチ休憩を挟みながらじっくり見学したい、という方は現金のご用意をお忘れなく。

シュタージ幹部たちのオフィスも見ることができた。


ベルリンが東と西に分かれていた時代、『壁』を越えて西側へ逃げようとした人々の多くが命を落としたことは周知のことと思うが、実際にシュタージがどのように組織だった仕事をしていたか、政治犯として収監された人々がどのような生活と拷問による自白を強いられていたか、その実態に触れる機会はドイツに住んでいてもなかなかない。
このホーエンシェーンハウゼン記念館や、シュタージ博物館を訪れる機会が作れたら、ぜひ足を運んでほしいし、関連した映画などを鑑賞するのもオススメだ。

ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館への行き方
アレクサンダー広場からトラムM5に乗れば一本で着きます。
Gedenkstätte Berlin – Hohenschönhausen (Memorial)
Genslerstraße 66, 13055 Berlin
https://www.stiftung-hsh.de/
映画『Nahschuss (英題 The Last Execution) 』と東ドイツに存在した死刑制度
1981年に東ドイツで最後に死刑執行された実在の人物がモデルになった映画『Nahschuss(英題 The Last Execution)』 を観た。2021年8月にドイツで公開されたこの映画は、タイトルのドイツ語を直訳すると『近射』、英題だと『最後の処刑』となるが、2022年2月現在、日本ではまだ公開されていない。
ラース・アイディンガー演じる主人公フランツは、大学教授のポストを約束され、新妻コリーナとともに東ベルリン中心部の豪華な内装のアパートを与えられる(バルコニーからアレキサンダー広場のテレビ塔が見えるのだから立地はかなり良さそう)。その見返りとして東ドイツの悪名高い秘密警察こと国家保安省、通称シュタージに協力することを求められ(家族には諜報機関の一員としての仕事の内容を隠して)働き始めるも、徐々に心身とも耐えられなくなり妻にカミングアウト、機密書類を盗んで一緒に西ベルリンへ逃げようとするがバレて捕まり、スパイ容疑で裁判にかけられた上、死刑宣告されるという話である。
え、スパイ容疑で死刑になるの?!仰天だけれども、東ドイツでは実際にあったそうだ。事実、この映画の主人公のモデルとなったヴェルナー・テスケという人物は、命を落としている。そして1981年に行われた彼の処刑を最後に、ドイツでは1987年に死刑制度が廃止され現在に至る。
ちなみに西ドイツでは第二次世界大戦以降、死刑は行われておらず、ドイツ人にとって身近な(という言い方もおかしいけれど)制度ではない様子。それは、1973年生まれのフランツィスカ・シュトゥンケル監督が、とある新聞記事で東ドイツで死刑が行われていたことを初めて知ったのをきっかけにこの映画の着想を得た、というエピソードからも伺い知れる。シュトゥンケル監督は主人公だけでなく、その背後にいる人々の物語にも正義を与えるために、7年もの歳月をかけてリサーチを重ね、構想を練り、脚本を書いたということだ。
東ドイツ政治に翻弄された人々については、フィクション、ノンフィクションともに様々な映画になっているが、『Nahschuss』は特に深刻で複雑な背景をもち、悲劇的で、決して良い気持ちになれる作品ではない。同じく東ベルリンが舞台となった『ブリッジ・オブ・スパイ』や『善き人のためのソナタ』などが最後に多少の爽やかさや希望を感じさせるのに対して、『Nahschuss』は容赦なく酷いエンディングである。それでもまた観たいと思わせられるのは、ストーリー展開はもちろん、観る者に訴えかけるロングカットを多用したカメラワークに加え、ラース・アイディンガーの素晴らしい演技によるところが大きいと思う(私はこの俳優がとても好きだ)。
東ドイツ市民の生活に影を落とした国家保安省(シュタージ)の存在とその組織だった活動について少し知っておくと、この映画の登場人物たちの一見不可解な行動にも納得するだろう。主人公たちが自宅で大音量で音楽をかけながらコソコソ話をするのは盗聴を恐れてのことだし、他人の留守宅に勝手に入って調査するのも、容疑者に嘘の情報を伝えて自白へ導くこともシュタージにとって通常業務だったのだ。そういう事情を踏まえて観ていくと、この映画のクライマックスで主人公とその妻が無言で見つめ合い、しっかと抱き合うシーンにぐっときてしまう。本当に哀しくて辛い、人を傷つける作品である。
『Nahschuss(英題 The Last Execution)』 の予告編はこちら。
ドイツ統一30年・ベルリンを走りながら目にしたデモ隊たちと町の様子
ドイツ統一から30年を迎えた2020年10月3日。ベルリンの自宅で迎えた土曜の朝は祝日らしく、穏やかに明るく差し込む太陽の光と共に始まった。最高気温が23℃になるというので、蚤の市にでも繰り出そうかと考えていたが、統一記念日なのだから壁が崩壊して東西ベルリンが再び一つになった象徴的な場所であるブランデンブルク門を目指そうじゃないか、ということになり、ミッテまで自転車を走らせることにした。

コロナの影響で統一30周年を記念する式典などのイベントは中止となってしまったが、毎年この日に集結するデモ隊は今年もやはり健在のようで、いたるところで様々な主張をする人々に出くわした。長い列をなしてベルを鳴らしながらレイシズムに反対する自転車デモ隊、声を枯らして政府のコロナ対策を批判する団体とそれを囲む大勢の警察官たち、ミリタリー感満載の集団から聞こえてくるロシア訛りのドイツ語、クラブ文化を救えと練り歩く仮装した人々。。



どのデモ隊にもそれぞれのカラーがあり、平和的な雰囲気を感じさせるものもあれば、物々しい監視のもとで激しく叫ぶものもあり、ブランデンブルク門から国会議事堂前までの道は警官隊と地元の人、観光客、そしてデモに拍手で賛同を示す人々でごった返していた。



ちなみにこの国会議事堂、何度も前を通ってはいるが、未だ入ったことがない。見学するためには事前の申し込みが必要だ。一度は訪れてみたい。

シュプレー川に沿って走っていると、遊覧船が航行中だった。観光客もかなり戻ってきているな、という印象。



デモで賑わうウンター・デン・リンデン通りを抜け、フランツォージッシェ・シュトラーセへ。ブティックやフランスの百貨店であるギャラリー・ラファイエットなどがある通りだ。コーミッシェ・オーパーやコンツェルトハウスもこの近く。ここがなんと車両の走行禁止になっていて驚いた。2021年1月末まで試験的に行われるらしく、歩行者と自転車のみが通行可能だ。道路の真ん中が自転車のために広々とマーキングされていて、自転車天国ここにあり、という感じ。

この後はシュターツ・オーパーことベルリン国立歌劇場を右手に見ながら、アレキサンダー広場を目指す。

安全運転を心がけながら、ベルリン大聖堂とテレビ塔をノーファインダーで撮影。そういえばこの風景、15年前に初めてベルリンを訪れた時にも撮った。ふたつのランドマークはこの先も変わらないだろう。

アレキサンダー広場では東ドイツ時代を振り返る展示が行われていた。この垂れ幕はよくよく見ると手書きである。



実はここベルリンのミッテ地区、目下コロナウィルス感染者が急激に増えており、ドイツ国内の他州から「リスク地域」と指定されることになってしまった。州によってはベルリン・ミッテに旅行した人は検疫が義務付けられているが、ベルリンに住んでいる者としてはどうしようもない。状況が改善することを願うばかりだ。