1981年に東ドイツで最後に死刑執行された実在の人物がモデルになった映画『Nahschuss(英題 The Last Execution)』 を観た。2021年8月にドイツで公開されたこの映画は、タイトルのドイツ語を直訳すると『近射』、英題だと『最後の処刑』となるが、2022年2月現在、日本ではまだ公開されていない。

ラース・アイディンガー演じる主人公フランツは、大学教授のポストを約束され、新妻コリーナとともに東ベルリン中心部の豪華な内装のアパートを与えられる(バルコニーからアレキサンダー広場のテレビ塔が見えるのだから立地はかなり良さそう)。その見返りとして東ドイツの悪名高い秘密警察こと国家保安省、通称シュタージに協力することを求められ(家族には諜報機関の一員としての仕事の内容を隠して)働き始めるも、徐々に心身とも耐えられなくなり妻にカミングアウト、機密書類を盗んで一緒に西ベルリンへ逃げようとするがバレて捕まり、スパイ容疑で裁判にかけられた上、死刑宣告されるという話である。

え、スパイ容疑で死刑になるの?!仰天だけれども、東ドイツでは実際にあったそうだ。事実、この映画の主人公のモデルとなったヴェルナー・テスケという人物は、命を落としている。そして1981年に行われた彼の処刑を最後に、ドイツでは1987年に死刑制度が廃止され現在に至る。

ちなみに西ドイツでは第二次世界大戦以降、死刑は行われておらず、ドイツ人にとって身近な(という言い方もおかしいけれど)制度ではない様子。それは、1973年生まれのフランツィスカ・シュトゥンケル監督が、とある新聞記事で東ドイツで死刑が行われていたことを初めて知ったのをきっかけにこの映画の着想を得た、というエピソードからも伺い知れる。シュトゥンケル監督は主人公だけでなく、その背後にいる人々の物語にも正義を与えるために、7年もの歳月をかけてリサーチを重ね、構想を練り、脚本を書いたということだ。

東ドイツ政治に翻弄された人々については、フィクション、ノンフィクションともに様々な映画になっているが、『Nahschuss』は特に深刻で複雑な背景をもち、悲劇的で、決して良い気持ちになれる作品ではない。同じく東ベルリンが舞台となった『ブリッジ・オブ・スパイ』や『善き人のためのソナタ』などが最後に多少の爽やかさや希望を感じさせるのに対して、『Nahschuss』は容赦なく酷いエンディングである。それでもまた観たいと思わせられるのは、ストーリー展開はもちろん、観る者に訴えかけるロングカットを多用したカメラワークに加え、ラース・アイディンガーの素晴らしい演技によるところが大きいと思う(私はこの俳優がとても好きだ)。

東ドイツ市民の生活に影を落とした国家保安省(シュタージ)の存在とその組織だった活動について少し知っておくと、この映画の登場人物たちの一見不可解な行動にも納得するだろう。主人公たちが自宅で大音量で音楽をかけながらコソコソ話をするのは盗聴を恐れてのことだし、他人の留守宅に勝手に入って調査するのも、容疑者に嘘の情報を伝えて自白へ導くこともシュタージにとって通常業務だったのだ。そういう事情を踏まえて観ていくと、この映画のクライマックスで主人公とその妻が無言で見つめ合い、しっかと抱き合うシーンにぐっときてしまう。本当に哀しくて辛い、人を傷つける作品である。

『Nahschuss(英題 The Last Execution)』 の予告編はこちら。

Image © https://www.nahschuss-derfilm.de/


文と写真:萬谷衣里 Eri Mantani プロフィール