白昼の帝国・世界最高峰のテクノクラブ「Berghain(ベルクハイン)」に潜入
テクノ音楽のメッカとしても知られるベルリン。この町のナイトシーンを代表するクラブ「Berghain(ベルクハイン)」の存在については、テクノに疎い私でも耳にすることがあった。とにかくすごいところらしい、まず入場できるかどうかすら分からない、数時間並んで待ったが追い返された、などなど。興味をそそられてはいたが、これまで足を伸ばす機会はなかった。どちらにしてもきっと、物見遊山で訪れる私のような人間はバウンサー(入り口に立つ用心棒)に入場を断られること必至だっただろう。

東ドイツ時代に発電所だったこの建物がベルクハインである。テクノを心から愛してやまない人間のみ入ることを許された聖地だが、コロナ渦の今日なんと一般公開されることになった。クラブが通常営業できないため別のアプローチを狙ったのか、日中にミュージアムのごとく展覧会をおこなうというのだ。ナイトクラブがその姿を陽光にさらす・・・これはまたとないチャンス!ということで久しぶりに晴れた週末、フリードリヒスハイン地区を目指した。

到着するとすでに長蛇の列。待つ間もひっきりなしに老若男女、多種多様な人々が最後尾に加わってくる。白髪をピンピンに角立てたサイケデリックなグラサン姿の老婦人など、奇抜なファッションセンスの人が目立つ。ここからすでに展覧会が始まっている感。40分くらい待っただろうか。ようやく入り口に立つことができ、日付と時刻、連絡先を記入してマスク着用でいよいよ入場だ。

「tamtam: eleven songs – halle am berghain」というタイトルのサウンドインスタレーション、足を踏み入れるや否や、その音空間に息を飲んだ。そびえ立つ白昼の帝国の、荘厳で圧倒的な存在感。そして無機質な音が突き抜けるように鳴り響く。金属製の扉が音に共鳴して震えている。



天井から光の漏れるホール内を歩き回ったり、立ち止まったり座ったりして音に耳を澄ます人々。その身体も共鳴しているようで、来場者もこのインスタレーションの一部と化している。



宇宙をつかさどる王の宮殿のような雰囲気。迷い込んだ者たちを見下ろし、あざ笑うかのような目が描かれている。ここで踊るのはどんな気持ちだろうか。時折静寂をはさみながら緩急をつけて流れる音の動きが、帝国の夜のシーンを想像させる。



展覧会という枠組みを超えた異世界を旅した夏の午後。この空間そのものを観て体感するのが当イベントの楽しみ方だろう。おそらくこんなレアなベルクハインの姿は今しか見られない。展覧会は2020年8月2日まで開催中。
Berghain 住所:Am Wriezener Bahnhof 10243 Berlin, Germany
「わたしの花も赤い」になるまでの過程・ゼラニウムを育てながら気付いたこと
「隣の花は赤い」や「隣の芝生は青く見える」といった表現は、他人のものがより良く見えて羨ましく思うことの例えだが、おそらく誰しもがこのような諺(ことわざ)を地で行く体験をしていると思う。目に入る他人の所有物に何か説明がつかない感情を抱いてしまい落ち着かないだとか、他人と自分が持つ似通ったものや能力に図らずも優劣をつけてしまう、等々。こういうことはできる限り少ない方がストレスを感じなくて済むが、生きている限り完全に避けることは難しい。
我が家の窓辺に取り付けられたプランターには、しばらくのあいだ花を咲かせないままのゼラニウムが植えられていた。なぜ咲かないのか。それは私が太陽がさんさんと降り注いでいた週に水やりをサボったからである。正確には、花を咲かせようとしていた小さな蕾たちが枯れてしまっていた。
これではいかんと毎日きちんと水やりを遂行することにした。プランターはアルトバウの二重扉の外、バルコネットと呼ばれる柵に引っ掛けてある。水やりをする度に二重扉を開くと必ず目に入るのが、通りを挟んだ斜めお向かいさんのゼラニウムである。斜めお向かいさんのバルコニーには、我が家と同じようなプランターが横に二つ並び、その両方に植えられた二色のゼラニウムが咲き誇っているのだ。遠目にもピンクと赤がまぶしく光る。「羨ましい」「あのように満開に咲かせたい」と窓辺に立つ私の心はざわつくばかりだ。
さて、毎日欠かさず水やりをするようになってから我が家のゼラニウムも健康状態を取り戻した様子で、すくすくと茎も伸び葉も広がり、大きな蕾をつけるようになった。他にもざっと数えて50近い植木たちを抱えているため、毎日の水やりは一仕事だが、手がかかるほど愛着がわくもので、サボっていた頃が嘘のようにゼラニウムを愛でている自分に気づく。数週間が経っただろうか。やがてプランターに植えた全てのゼラニウムが次々に花を咲かせ、見事に満開になった。待ちに待ったその光景を前に、私の心は満ち足りたものとなった。
ある日、斜めお向かいさんのバルコニーにふと目をやった私は目を疑った。そこに咲いていたはずの花が、ゼラニウムの花が、跡形もなかったのである。なんども瞬きしたが、見えるのは緑の葉ばかりで、あれほど咲き乱れていたピンクと赤が全く存在しないのである。いつの間に無くなったのだろう。いつ枯れてしまったのだ?狐につままれたような気になったが、よくよく考えて気が付いた。しばらくの間、私は斜めお向かいさんの花を見ていなかったのである。
見ていなかった!!!これは驚きであった。
あれほど羨ましく、うらめしくすら思いながら観察していたはずの斜めお向かいさんの二色のゼラニウムのことを、私は忘れていたのだ。要するに私は、自分が水をやるべき我が家のゼラニウムだけを見て、他に目をくれていなかったのだ。そのあいだにあれほど憧れていた斜めお向かいさんのゼラニウムたちは枯れていき、いつの間にか我が家のゼラニウムたちの時代が到来していた。予想だにしていなかった展開だったが、花が枯れるのは当然といえば当然のことだ。この日の発見は、ほかを意識せず自分のすべきことに集中していると、気が付いた時には目的を達成できているということであった。
憧れや比較の対象を持つことは良いことである。自分のすべきこと(水やり)をサボっていた私が心を改めたのも、憧れの対象があったからだ。けれど、すべきことに本当に熱中すると他はどうでもよくなってくるものなのだ。そしてその熱中を抜けた先には結果が待っている。それは期待していた結果ではない場合もあるだろうが、少なくともそこまでのプロセスは無駄にはならないはずだ。
「わたしの花も赤い」。斜めお向かいさんは、ひょっとすると今、我が家のゼラニウムを眺めてくれているかもしれない。
「あなたは最近いつ森へ行った?」とレッスンで先生に聞かれたらどう答える?5つの答えとメッセージ
ピアノでもヴァイオリンでもなんでも良いのだが、実技レッスン中に師から「最近いつ森へ行った?」と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。そしてなぜ師が急にそんなことを尋ねるのかも考えてみてほしい。
どこで読んだか忘れてしまったが、これはある著名なピアニストによるレッスン中の言葉として紹介されていたもので、「この質問に答えられる生徒は少ない」とのことだった。当時東京にいた私は「森かあ・・・」と意識がふっと一瞬自然界へ向いたのち、目の前の課題に戻り森を目指すことにはならなかったが、この質問とその意味について考える機会はこれまで幾度となく訪れた。
さて、あなたの答えは次のうちどれだろう。
1「ほぼ毎日、森を散歩するのが日課です」
2「先週末、森へキノコ狩りに行ったところです」
3「いつだったかちょっと思い出せません」
4「行きたいとは思うんですが、なかなか時間がなくて」
5「練習に忙しくて森へ行く暇なんてありません」
1番を選んだあなたはとても恵まれた環境にあり、自然と共存しながら生きる毎日だろう。森林浴を通して日々安らぎを得ているあなたが奏でる音楽からはそれが感じられるため、そもそも師はこのような質問をしないはずだ。
2番を選んだあなたも自然界からの影響を少なからず受けているだろう。キノコ狩りにはちょっと季節が早いが、バードウォッチングやベリー狩りでもなんでも良い。ちなみに現在の私はこの2番だ。
3番を選んだあなたは、ひょっとすると森へは学校の遠足で行ったきりかもしれない。都会暮らしだとおいそれと「森へ行こう」とはならないものだ。
4番を選んだあなたは、時間を作ることを考えた方が良い。カレンダーの来週末の欄に『森へ行く』と書き込んでみてはどうか。
5番を選んだあなた。事態は深刻かもしれない。師はがっかりするだけでなく、あなたのことを本気で心配し始めるだろう。来週に控えた実技試験の前に60km離れた森へ足を伸ばすなんてとんでもない、とあなたは考えるかもしれないが、朝から晩まで篭りっきりで練習していないで一日くらい休んでちょっと森の空気を吸っておいでよ、と伝えたい。これは東京で学生をしていた頃の私自身へのメッセージでもある。

