コロナ禍での『フェット・ドゥ・ラ・ムジーク(音楽の祭日)』が過ぎて思うこと
6月21日は父の日だったが、『フェット・ドゥ・ラ・ムジーク Fête de la Musique』の日でもあった。1982年にフランスで誕生したフェット・ドゥ・ラ・ムジークは、夏至である6月21日に開催される。この日はみんな自由に音楽を演奏したり聴いたりして盛り上がろう!と同時多発的に世界各国、場所や形態を問わずライブコンサートが催される日だ。日本でも『音楽の祭日』として行われているが、今年はどこもオンラインでの開催にシフトしたようで、ベルリンでも同様だった。
天気の良い日曜日だったこの日、オンラインでの音楽祭とは一体どんなものだろうかと思い、ベルリンのフェット・ドゥ・ラ・ムジークのサイトにアクセスしてみた。ちょうどいくつかのコンサートがライブ配信されており、無観客の会場(屋外はもとより、図書館や自宅のリビング、果てはバスルームまで!)で演奏するアーティストたちの姿が映し出された。音質も悪くなく、束の間の気分転換に聴かせてもらうにはぴったりだった。
ただやはり、音楽祭という『お祭り』がこういう形で行われるのは残念に思う。私自身、同じくオンライン開催が決まったベルリンの某アートフェスティバルへの参加を、今年は見送ることにした。毎年楽しみにしていたイベントだったが、共同企画者である友人と相談したところ二人とも同じ考えで、この選択は私たちにとって正解だったと思う。
飛行機が再び飛び始め、狭い機内にマスクをした乗客がすし詰めになって座る一方で、コンサート会場は未だ休業を強いられている。動画配信をするオーケストラやアーティストたちも存在するが、インターネットを介さず本来の姿での公演へ向けてひたすら練習に精を出す音楽家も多いはずだ。無数の動画が溢れるオンラインの世界に参入することに躊躇する人もいるだろう。情報と技術には事欠かない現在、『表現』の方法もそれぞれに合ったものを選ばなければ自滅してしまう危険があるように思う。そんなことを音楽の祭日に考えた。
文と写真:萬谷衣里 Eri Mantani プロフィール