コンクールよもやま話・ライブ配信で聴くピティナ・ピアノコンペティション特級ファイナル2020
2020年8月21日(金) とても幸運なことにスケジュールがバッチリ合い、ドイツ時間の午前~正午すぎにかけてYouTubeでライブ配信された国内最大級のピアノコンクール「第44回ピティナ・ピアノコンペティション(以下コンペ)」特級ファイナルの模様をベルリンの自宅で視聴することができた。
コロナ禍真っ只中のこの夏、コンペ審査方法にも大幅な変更が加えられたが、最上級カテゴリーである特級は一次予選のみが動画審査に変わり、あとのラウンドは全て実地(ただし予選は無観客)で開催された。私もドイツから一次予選に審査員として遠隔参加し、ファイナリストに選ばれた人を含む多くの素晴らしい演奏を聴かせていただいていたので、このような形でコンペティションが無事に開催されることは本当に喜ばしく、感慨深い気持ちでいっぱいになりながら配信される画面を見つめた。
音楽コンクールがインターネット上でライブ配信されるようになってどのくらい経つだろうか。私が2010年のショパン国際ピアノコンクールに参加した際にもワルシャワのフィルハーモニーホールから全世界へ向けてネットで同時配信が行われていたが、当時はまだまだ「新しい」感じがした。しかしそれから10年が経った今ではもう特別驚くようなことではなくなり、大規模な国際コンクールではライブ配信がほぼ標準装備されている。日本国内ではこのピティナのコンペが先駆けだろう。
今年は特級ファイナリスト4名中、3名がラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を、1名がショパンのピアノ協奏曲第2番を演奏するという。これを知った時、え?ラフマニノフの3番をこんな若い人たち(うち二人は10代)が弾けちゃうわけ?すごくない?!と映画「シャイン」世代の私は心底驚いた。
ご存知の方も多いとは思うが、1996年に公開された映画「シャイン」では、主人公である実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットが同曲の演奏を終えた直後に舞台上で卒倒してしまう。数え切れないほど繰り返して観たこのドラマチックな映画の影響で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は演奏不可能な(仮に弾けたとしても精神を病んで倒れてしまうであろう)楽曲として劇中のシーンと共に細胞レベルでインプットされることになり、今日に至るまで畏れ多すぎて手を出すことはなかった。
しかし、この難曲に果敢にも挑戦する若者たちに非常に感化された私は、ファイナルを聴く前にひっそりと初見(初試奏)を試みることを思い立ち、初めて全楽章を通して楽譜を追いながら、憧れの名曲を自分で音に出す瞬間の醍醐味は何物にも代えがたい、このような素晴らしい音楽に寄り添える時間ほど純粋に楽しいときはないと実感し、静かな感動をおぼえた。
そしてその初見の結果、この20年間ほど封印していた楽曲が自分にも「案外弾ける」ことが判明したので少しホッとした次第である。こんなことならもう少し早い時期にちゃんと勉強しておけば良かったと後悔したのも事実だが、「機会」というものはぼーっとしていると逃げていくものだ。こんな私に思いがけず「ラフ3試奏の機会」を作ってくれたファイナリストの皆さんに感謝したい。
さて、特級ファイナルの会場はサントリーホール。ピアノコンチェルトをサポートするオーケストラ・東京交響楽団の皆さんは全員グレーのマスク着用(←白いのより目立たなくて良い感じ)、指揮者の岩村力氏は口元にフェイスシェード、ソリストは何もなし。客席の大部分に空席が見え、お客様間のソーシャルディスタンスが保たれていることがわかる。この空席がどの程度ホールの残響に影響しているのか、ピアノを弾く者としては気になるところである。
ライブ配信は会場に漂う緊張感をそのまま伝えていたように思う。音質も申し分なく、細部までクリアに聞こえた。ノイズキャンセリング機能付きのイアフォンも大活躍してくれた。なお、ライブ配信時に画面上に出てくるチャット機能は非表示にさせてもらった。
動画に関しては特にオーケストラ側からのソリストのカットが観る者にとって一番「近さ」が感じられ、鬼気迫る様子を間近に受け取れる距離感のため、このカットが曲の要所要所でやってくると思わず見入ってしまう(後半、当該のカメラに不具合があったのは至極残念)。それ以外でも奏者の息遣いのひとつずつが手に取るように伝わってきて、痒い所に手が届くカメラワークにも感心しながら鑑賞した。もちろん、会場の客席で生の演奏を聴く方が何倍も良いに決まっているが、こうして海を隔てて母国のピアノコンクールをリアルタイムで体験できるなんてすごいじゃないか!
それぞれにキャラクターが立っている4名のファイナリストたちの演奏を続けて聴きながら、クライマックスへ近づくにつれて徐々に感動は加速していき、全てを聴き終わった時には途方も無い満足感でいっぱいだった。この感動を求めていたのだよ、ありがとう!!!と画面に向かって拍手を送る。その後、会場の皆さんと同じく表彰式を今か今かと待ったのは言うまでもない。気になる審査結果はすでに発表されている通り。
2020年度 第44回ピティナ・ピアノコンペティション特級 最終結果(8/21)
●グランプリ:尾城 杏奈(東京藝術大学大学院 院1)
●銀賞:森本 隼太(角川ドワンゴ学園N高等学校 高1)
●銅賞:谷 昂登(桐朋女子高等学校音楽科男女共学 高2)
●入選:山縣 美季(東京藝術大学 大1)
聴衆賞
第1位 森本 隼太
第2位 山縣 美季
第3位 尾城 杏奈
第4位 谷 昂登
会場票337、オンライン票3,649の投票があったとのこと。
受賞者の皆さん、おめでとうございます。
グランプリから銅賞までの3人が、ラフマニノフの3番を演奏した方々だ。それぞれの個性ある解釈と表現に11名の審査員の先生方の間で評価が分かれてディスカッションになり、ひょっとしたら表彰式が遅れるかな?とも思ったが、ほぼ予定通りに進行したので、あっさりと決まったのだろう。今回はコロナの影響で海外からの外国人審査員がいらっしゃらなかったため、まとまりやすかったのかもしれない(いろんな意味で)。各審査員による採点表など審査結果の詳細は後日ピティナ会報誌「結果特集号」でも発表されるはずなので、それぞれの評価を見比べてみるのも面白いだろう。
極限の緊張の中でここまで完成度の高い音楽を披露してくれたファイナリストの皆さんには、本当に頭が下がる。ほんの一部の例外を除けばコンクールや試験といった相対評価の場を通らずしてプロになる道はないので、この舞台に辿り着けなかった人には苦しくても通過点として考えて欲しいし、目指すところがある人たちには一時の結果や良し悪しにとらわれず、長いスパンで頑張ってもらいたい。私も頑張ります。
写真はスペイン・マヨルカ島のショパン博物館にあるショパンのピアノ
廃村の秘密・ドイツに残る旧ソ連軍の基地跡「フォーゲルザング 」村に隠されたもの
ベルリンの隣の州を気ままに旅する予定だった週末、「旧ソ連の軍事基地跡地がある」と小耳に挟み、好奇心旺盛な我々は自転車で向かうことにした。ソ連軍が自国の外に秘密裏に基地を作っていた、それもベルリンからほど近いブランデンブルク州ツェーデニックに!「廃墟」と「ソ連軍が残したもの」という二つのキーワードに惹かれほとんど思いつきで目指したのだが、これがなかなかのアドベンチャーになった。「鳥の歌(フォーゲルザング Vogelsang)」というおとぎ話のような名前の土地の、森の奥深くにこの基地跡はある。


前日に宿泊していたオラニエンブルクからポピーの乱れ咲く原っぱを横目に幅広のサイクリング用の道を走り、グーグルマップのおおよその位置を頼りに森の中の基地を目指す。森に入ってからは舗装されていない砂だらけの道を自転車を押しながらえっちらおっちら歩き、途中ベリーを摘んで小腹を満たし、さまよいながらけもの道をつたい進むと、ソ連軍が置いていったような朽ちた軍用車の一部分、錆びたバケツやコップなどの日用道具が打ち棄てられている目的地らしきエリアに入った。


いよいよ近づいてきた、と思ったら人影が。一人の男性が何か記念になるものをとでも思ったのか、廃棄されたものを物色して持ち帰ろうとしているところだった(後にも先にもこの人が村で出くわした唯一の人物となった)。その後、動物の骨が散乱する一帯を抜けしばらく行くと、それらしき柵が見えてきた。基地跡だ!


後から知ったのだが、我々が入村した場所はフォーゲルザング駅から向かう道とは真逆の方向からで、基地の最後方に当たるところだったようだ。到着したは良いが見渡すばかり草原で、建物といえば壊れた監視塔のようなものが確認できるのみ。見取り図があるわけでもなく勘を頼りに動くしかないが、あいにく雨が降り始めた。こんな時のために準備していたポンチョを羽織り、木陰で雨宿り。するとそう遠くないところから、「パン、パンッ」という音が立て続けに聞こえてくるではないか。

「も、もしかして銃声?!」森の奥深くに隠された旧ソ連軍の跡地である。マフィアによる取引など犯罪の温床になっていてもおかしくはない。まさにここでいま殺人を犯した極悪人に見つかったら我々も口封じのために殺されるんじゃないだろうか、こんなところに誰も助けになど来てくれない、ヘリコプターが救助に来る頃には時すでに遅しだろう、楽しいはずのサイクリングこんなはずじゃなかった、などと冷えた体に氷水がつたうがごとく思考がめぐり、さっきまでのワクワクなど嘘のように吹っ飛びテンション急下降、無言で震えるヒルシュトオンチーム。

だがしばらく息を潜めていると物音もしなくなり、幸い雨も上がって来たので「さっきのは多分、誰かが何かを壊していた音だろう」と解釈することにし(ポジティブ)、気を取り直して先へ進んだ。ここから先は以下の写真をご覧いただきたい。とにもかくにも360度、どこを見ても廃墟しかない。まさしくゴーストタウン、廃村の風景である。














行き当たりばったりの探検は約2時間程で終了。暗くならないうちに退散しようということで、後ろ髪を引かれながらも草木が鬱蒼と茂る湿った森の中を今度は駅の方角に向かう。道が道として成り立っていない箇所も多く、倒れた木を自転車を担いでまたいだり、なかなかハードだ。

しばらく歩くと線路が見え、タイミングよく一時間に一本のベルリン行きの電車に間に合った。北から到着した満員の車両に愛車を積み込み、50分ほど揺られながら帰路に着いた。ちなみに無人駅のフォーゲルザングでは、乗車したい人はホームに立ち電車に向かって手を振り運転手に気づいてもらわなければならない。今時かなりアナログである。


驚きの事実
さて、帰宅してからフォーゲルザング村について改めて調べたところ、1952年から森の中に建設された兵舎の町には、軍人とその家族を含む15,000もの人が住んでいたらしい。関係者以外の立ち入りは禁止されており、劇場、商店、オフィス、ジム、学校、医療施設があったという。上空からの写真を見ると、その規模の大きさに驚く(我々は一部の地域しか歩いていない)。そしてさらに驚愕すべきことに1959年の初めには、核ミサイルR-5ポベダ12基が装備されていたというのだ。ソビエト軍の記録によると、核ミサイルは1959年8月に撤去されたらしいが、ちょっと背筋が凍るような話だ。


1994年、ロシア軍の撤退にともない軍の町は部分的に取り壊され、以来現在まで廃墟のまま放置されている。所有主はブランデンブルク州となっているが安全は保証できないため、立ち入りは基本的に禁止とのこと。ただし現地は人が入れないようにはなっておらず、言ってみれば野放しの状態。一部には防犯カメラのようなものが設置されていたが、どの程度機能しているのか疑問だ。廃墟を訪れたい人は自己責任でどうぞご自由に、という来るもの拒まず的な匂いがするが、思いつきとはいえよくもまあ丸腰で行ったものである。
ゴーストタウン「フォーゲルザング 」村を訪れる人は後を絶たない様子だが、数年前に撮られた写真などと比べると基地内の建物は相当劣化が進んでいるようだ。また、木々が生い茂っているため立ち入り禁止の柵を立てる必要もないくらい、このまま自然に飲み込まれ同化していってしまうような気さえする。参考までに2012年のデア・シュピーゲル誌オンライン版の記事をば。リンク先のフォトギャラリーの一番最後に2009年に撮られた基地の空中写真がある。圧巻。
白昼の帝国・世界最高峰のテクノクラブ「Berghain(ベルクハイン)」に潜入
テクノ音楽のメッカとしても知られるベルリン。この町のナイトシーンを代表するクラブ「Berghain(ベルクハイン)」の存在については、テクノに疎い私でも耳にすることがあった。とにかくすごいところらしい、まず入場できるかどうかすら分からない、数時間並んで待ったが追い返された、などなど。興味をそそられてはいたが、これまで足を伸ばす機会はなかった。どちらにしてもきっと、物見遊山で訪れる私のような人間はバウンサー(入り口に立つ用心棒)に入場を断られること必至だっただろう。

東ドイツ時代に発電所だったこの建物がベルクハインである。テクノを心から愛してやまない人間のみ入ることを許された聖地だが、コロナ渦の今日なんと一般公開されることになった。クラブが通常営業できないため別のアプローチを狙ったのか、日中にミュージアムのごとく展覧会をおこなうというのだ。ナイトクラブがその姿を陽光にさらす・・・これはまたとないチャンス!ということで久しぶりに晴れた週末、フリードリヒスハイン地区を目指した。

到着するとすでに長蛇の列。待つ間もひっきりなしに老若男女、多種多様な人々が最後尾に加わってくる。白髪をピンピンに角立てたサイケデリックなグラサン姿の老婦人など、奇抜なファッションセンスの人が目立つ。ここからすでに展覧会が始まっている感。40分くらい待っただろうか。ようやく入り口に立つことができ、日付と時刻、連絡先を記入してマスク着用でいよいよ入場だ。

「tamtam: eleven songs – halle am berghain」というタイトルのサウンドインスタレーション、足を踏み入れるや否や、その音空間に息を飲んだ。そびえ立つ白昼の帝国の、荘厳で圧倒的な存在感。そして無機質な音が突き抜けるように鳴り響く。金属製の扉が音に共鳴して震えている。



天井から光の漏れるホール内を歩き回ったり、立ち止まったり座ったりして音に耳を澄ます人々。その身体も共鳴しているようで、来場者もこのインスタレーションの一部と化している。



宇宙をつかさどる王の宮殿のような雰囲気。迷い込んだ者たちを見下ろし、あざ笑うかのような目が描かれている。ここで踊るのはどんな気持ちだろうか。時折静寂をはさみながら緩急をつけて流れる音の動きが、帝国の夜のシーンを想像させる。



展覧会という枠組みを超えた異世界を旅した夏の午後。この空間そのものを観て体感するのが当イベントの楽しみ方だろう。おそらくこんなレアなベルクハインの姿は今しか見られない。展覧会は2020年8月2日まで開催中。
Berghain 住所:Am Wriezener Bahnhof 10243 Berlin, Germany
「わたしの花も赤い」になるまでの過程・ゼラニウムを育てながら気付いたこと
「隣の花は赤い」や「隣の芝生は青く見える」といった表現は、他人のものがより良く見えて羨ましく思うことの例えだが、おそらく誰しもがこのような諺(ことわざ)を地で行く体験をしていると思う。目に入る他人の所有物に何か説明がつかない感情を抱いてしまい落ち着かないだとか、他人と自分が持つ似通ったものや能力に図らずも優劣をつけてしまう、等々。こういうことはできる限り少ない方がストレスを感じなくて済むが、生きている限り完全に避けることは難しい。
我が家の窓辺に取り付けられたプランターには、しばらくのあいだ花を咲かせないままのゼラニウムが植えられていた。なぜ咲かないのか。それは私が太陽がさんさんと降り注いでいた週に水やりをサボったからである。正確には、花を咲かせようとしていた小さな蕾たちが枯れてしまっていた。
これではいかんと毎日きちんと水やりを遂行することにした。プランターはアルトバウの二重扉の外、バルコネットと呼ばれる柵に引っ掛けてある。水やりをする度に二重扉を開くと必ず目に入るのが、通りを挟んだ斜めお向かいさんのゼラニウムである。斜めお向かいさんのバルコニーには、我が家と同じようなプランターが横に二つ並び、その両方に植えられた二色のゼラニウムが咲き誇っているのだ。遠目にもピンクと赤がまぶしく光る。「羨ましい」「あのように満開に咲かせたい」と窓辺に立つ私の心はざわつくばかりだ。
さて、毎日欠かさず水やりをするようになってから我が家のゼラニウムも健康状態を取り戻した様子で、すくすくと茎も伸び葉も広がり、大きな蕾をつけるようになった。他にもざっと数えて50近い植木たちを抱えているため、毎日の水やりは一仕事だが、手がかかるほど愛着がわくもので、サボっていた頃が嘘のようにゼラニウムを愛でている自分に気づく。数週間が経っただろうか。やがてプランターに植えた全てのゼラニウムが次々に花を咲かせ、見事に満開になった。待ちに待ったその光景を前に、私の心は満ち足りたものとなった。
ある日、斜めお向かいさんのバルコニーにふと目をやった私は目を疑った。そこに咲いていたはずの花が、ゼラニウムの花が、跡形もなかったのである。なんども瞬きしたが、見えるのは緑の葉ばかりで、あれほど咲き乱れていたピンクと赤が全く存在しないのである。いつの間に無くなったのだろう。いつ枯れてしまったのだ?狐につままれたような気になったが、よくよく考えて気が付いた。しばらくの間、私は斜めお向かいさんの花を見ていなかったのである。
見ていなかった!!!これは驚きであった。
あれほど羨ましく、うらめしくすら思いながら観察していたはずの斜めお向かいさんの二色のゼラニウムのことを、私は忘れていたのだ。要するに私は、自分が水をやるべき我が家のゼラニウムだけを見て、他に目をくれていなかったのだ。そのあいだにあれほど憧れていた斜めお向かいさんのゼラニウムたちは枯れていき、いつの間にか我が家のゼラニウムたちの時代が到来していた。予想だにしていなかった展開だったが、花が枯れるのは当然といえば当然のことだ。この日の発見は、ほかを意識せず自分のすべきことに集中していると、気が付いた時には目的を達成できているということであった。
憧れや比較の対象を持つことは良いことである。自分のすべきこと(水やり)をサボっていた私が心を改めたのも、憧れの対象があったからだ。けれど、すべきことに本当に熱中すると他はどうでもよくなってくるものなのだ。そしてその熱中を抜けた先には結果が待っている。それは期待していた結果ではない場合もあるだろうが、少なくともそこまでのプロセスは無駄にはならないはずだ。
「わたしの花も赤い」。斜めお向かいさんは、ひょっとすると今、我が家のゼラニウムを眺めてくれているかもしれない。
「あなたは最近いつ森へ行った?」とレッスンで先生に聞かれたらどう答える?5つの答えとメッセージ
ピアノでもヴァイオリンでもなんでも良いのだが、実技レッスン中に師から「最近いつ森へ行った?」と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。そしてなぜ師が急にそんなことを尋ねるのかも考えてみてほしい。
どこで読んだか忘れてしまったが、これはある著名なピアニストによるレッスン中の言葉として紹介されていたもので、「この質問に答えられる生徒は少ない」とのことだった。当時東京にいた私は「森かあ・・・」と意識がふっと一瞬自然界へ向いたのち、目の前の課題に戻り森を目指すことにはならなかったが、この質問とその意味について考える機会はこれまで幾度となく訪れた。
さて、あなたの答えは次のうちどれだろう。
1「ほぼ毎日、森を散歩するのが日課です」
2「先週末、森へキノコ狩りに行ったところです」
3「いつだったかちょっと思い出せません」
4「行きたいとは思うんですが、なかなか時間がなくて」
5「練習に忙しくて森へ行く暇なんてありません」
1番を選んだあなたはとても恵まれた環境にあり、自然と共存しながら生きる毎日だろう。森林浴を通して日々安らぎを得ているあなたが奏でる音楽からはそれが感じられるため、そもそも師はこのような質問をしないはずだ。
2番を選んだあなたも自然界からの影響を少なからず受けているだろう。キノコ狩りにはちょっと季節が早いが、バードウォッチングやベリー狩りでもなんでも良い。ちなみに現在の私はこの2番だ。
3番を選んだあなたは、ひょっとすると森へは学校の遠足で行ったきりかもしれない。都会暮らしだとおいそれと「森へ行こう」とはならないものだ。
4番を選んだあなたは、時間を作ることを考えた方が良い。カレンダーの来週末の欄に『森へ行く』と書き込んでみてはどうか。
5番を選んだあなた。事態は深刻かもしれない。師はがっかりするだけでなく、あなたのことを本気で心配し始めるだろう。来週に控えた実技試験の前に60km離れた森へ足を伸ばすなんてとんでもない、とあなたは考えるかもしれないが、朝から晩まで篭りっきりで練習していないで一日くらい休んでちょっと森の空気を吸っておいでよ、と伝えたい。これは東京で学生をしていた頃の私自身へのメッセージでもある。
菜食について考える・『野菜好き』としてドイツに生きるピアニストのひとりごと
私はここ数年野菜中心の食生活を送っている。なにか一念発起して菜食主義を目指しているわけではないが「別にお肉は毎日食べなくても良いか」と野菜や豆類、魚などを積極的に調理するようにしていたら、それが美味しくて体の調子も良いので自然に摂取量が減っていった感じだ。自宅ではほぼ菜食だが、食事に招かれたり外食する際には肉料理をいただくことに躊躇はしないし、旅先で貴重なジビエに舌鼓を打つ機会もある。こういう『たまに肉や魚を食べる』人をセミ・ベジタリアン、またはフレキシタリアンとカテゴライズするそうだが、自分は言うならばただの『野菜好き』である。
ピュア・ベジタリアンのひとたちとの付き合いが始まったのはドイツに来て数年経った頃だった。当時の私にとって『ベジタリアン』は未知の領域で、そんなひとが実際にいるのか、と物珍しい目で見ていたと思う。ましてや『ヴィーガン』の存在など知る由もなかった。彼らが作ってくれたダルカレー(インドの豆のカレー)や、オーガニックのかぼちゃを皮付きのままスライスしてオーブンで焼いただけのシンプルな料理は驚くほど美味しくて、野菜だけでこんなに食事を楽しめるものなのかと衝撃を受けた。ベジタリアンになったきっかけは?と尋ねたところ、両親が菜食だったので自然とそうなったという人もいれば、思想的な理由を挙げる人もいた。
思えば食卓に肉が並ぶのは当たり前だった。家でも学校でも肉料理はほぼ毎日食べていたように思う。18歳で上京してひとり暮らしを始めてからも同じような食生活を続け、実技試験やリサイタルの前には縁起を担いで必ずと言って良いほどカツを食べていた。ベジタリアンのひとたちに出会う20代後半まで野菜中心の食事が可能だということに気付きもしなかったが、習慣に変化が訪れるとそれが新しい『当たり前』になり、難しいことを考えるまでもなく、体が欲するものとして多くの野菜を食べるようになって現在に至る。
生まれた時から菜食で育ってきた人に肉をすすめても受け付けられないのと同様に、肉が大好きで毎日欠かさず食べたいという人に『ミートフリー・マンデー』を一緒に始めようと誘っても難しいだろう。習慣に変化が訪れるタイミングというのは、何かしらのきっかけで本人が自ら選択を行う時だと思うが、劇的なターニングポイントがあった訳ではないのに私の食生活が徐々に変化したのは、身近にいた人たちの影響が大きい。こんな『野菜好き』として生きる可能性が生まれたのも、ベジタリアン人口の多いドイツ暮らしならではかもしれない。
ベルリンの湖は無法地帯?緑の楽園には白鳥や〇〇の人々の姿も
海がないベルリンでは、市内に多く点在する湖がその代わりをつとめている。じりじりと太陽が肌に迫ってくる今日この頃、ビール瓶を手にした人々が目指す先はやっぱり湖だ。午後になると大浴場化してしまうため、静かに楽しみたい人は午前中に行くのがベター。ジョギングや散歩をする人たちがいる一方で、朝風呂ならぬ朝スイミングにいそしむ人々の姿も多く見られる。湖畔は緑に溢れ、まさに楽園だ。
遊泳用に区切られた水域以外で泳ぐことは本来禁止されているが、泳ぎたい人は自己責任で楽しんでいる様子。そもそもコロナで有料のビーチは営業停止中だ。こちらは白鳥のファミリー(動画)。7羽の子だくさん家族である。その後ろに泳ぐ人たちの姿も見える。
28℃の朝、ジョギングの途中で私も湖に入りたくなり、裸足になって膝下までソロソロと水につかっていると後ろから年配の女性に声をかけられた。これから朝スイミングするところなのか、着替えをしている最中だった・・・と思いきや、次に振り向くと彼女は全裸であった。ここは温泉だったかなと思うくらいの自然な佇まいで私に話しかけながら、女性はお風呂、もとい湖に体を沈めようとしていた。ここはヌーディストビーチではないはずだけど・・・(ヌーディストビーチは区域が決まっている)。バッシャーンと水しぶきをあげて全身を浸した女性はとても気持ち良さそうだった。あまり細かいことは気にしなくて良いのかもしれない。
数分で入浴は終わり、さっさと服を身につけるご婦人。きっと彼女にとって朝の短い儀式なんだろう。ベルリンの湖は『自由であること』がルールなのかという気がした一件だった。

