廃村の秘密・ドイツに残る旧ソ連軍の基地跡「フォーゲルザング 」村に隠されたもの

ベルリンの隣の州を気ままに旅する予定だった週末、「旧ソ連の軍事基地跡地がある」と小耳に挟み、好奇心旺盛な我々は自転車で向かうことにした。ソ連軍が自国の外に秘密裏に基地を作っていた、それもベルリンからほど近いブランデンブルク州ツェーデニックに!「廃墟」と「ソ連軍が残したもの」という二つのキーワードに惹かれほとんど思いつきで目指したのだが、これがなかなかのアドベンチャーになった。「鳥の歌(フォーゲルザング Vogelsang)」というおとぎ話のような名前の土地の、森の奥深くにこの基地跡はある。

ここから先がフォーゲルザング
Vogelsang
森の中でベリーをつまみ食い


前日に宿泊していたオラニエンブルクからポピーの乱れ咲く原っぱを横目に幅広のサイクリング用の道を走り、グーグルマップのおおよその位置を頼りに森の中の基地を目指す。森に入ってからは舗装されていない砂だらけの道を自転車を押しながらえっちらおっちら歩き、途中ベリーを摘んで小腹を満たし、さまよいながらけもの道をつたい進むと、ソ連軍が置いていったような朽ちた軍用車の一部分、錆びたバケツやコップなどの日用道具が打ち棄てられている目的地らしきエリアに入った。

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ソ連軍の残骸?
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動物の骨


いよいよ近づいてきた、と思ったら人影が。一人の男性が何か記念になるものをとでも思ったのか、廃棄されたものを物色して持ち帰ろうとしているところだった(後にも先にもこの人が村で出くわした唯一の人物となった)。その後、動物の骨が散乱する一帯を抜けしばらく行くと、それらしき柵が見えてきた。基地跡だ!

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柵は役目を果たしていない
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だだっ広い基地跡


後から知ったのだが、我々が入村した場所はフォーゲルザング駅から向かう道とは真逆の方向からで、基地の最後方に当たるところだったようだ。到着したは良いが見渡すばかり草原で、建物といえば壊れた監視塔のようなものが確認できるのみ。見取り図があるわけでもなく勘を頼りに動くしかないが、あいにく雨が降り始めた。こんな時のために準備していたポンチョを羽織り、木陰で雨宿り。するとそう遠くないところから、「パン、パンッ」という音が立て続けに聞こえてくるではないか。

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監視塔のようなもの


「も、もしかして銃声?!」森の奥深くに隠された旧ソ連軍の跡地である。マフィアによる取引など犯罪の温床になっていてもおかしくはない。まさにここでいま殺人を犯した極悪人に見つかったら我々も口封じのために殺されるんじゃないだろうか、こんなところに誰も助けになど来てくれない、ヘリコプターが救助に来る頃には時すでに遅しだろう、楽しいはずのサイクリングこんなはずじゃなかった、などと冷えた体に氷水がつたうがごとく思考がめぐり、さっきまでのワクワクなど嘘のように吹っ飛びテンション急下降、無言で震えるヒルシュトオンチーム。

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焼却炉?


だがしばらく息を潜めていると物音もしなくなり、幸い雨も上がって来たので「さっきのは多分、誰かが何かを壊していた音だろう」と解釈することにし(ポジティブ)、気を取り直して先へ進んだ。ここから先は以下の写真をご覧いただきたい。とにもかくにも360度、どこを見ても廃墟しかない。まさしくゴーストタウン、廃村の風景である。

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学校の校舎のよう
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廊下
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日焼けした肌のような壁
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入ってはいけない雰囲気
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廃屋にもグリーン
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大きな扉。きっと軍用の車などが出入りしてたのだろう
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倉庫風の建物にて
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遠巻きに見る
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ホーンテッドマンションさながら
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平屋の何か
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木が屋根をぶち破って生えている
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ガレージ?
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朽ちたお手洗い
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番犬がいたようだ


行き当たりばったりの探検は約2時間程で終了。暗くならないうちに退散しようということで、後ろ髪を引かれながらも草木が鬱蒼と茂る湿った森の中を今度は駅の方角に向かう。道が道として成り立っていない箇所も多く、倒れた木を自転車を担いでまたいだり、なかなかハードだ。

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駅へ続く道


しばらく歩くと線路が見え、タイミングよく一時間に一本のベルリン行きの電車に間に合った。北から到着した満員の車両に愛車を積み込み、50分ほど揺られながら帰路に着いた。ちなみに無人駅のフォーゲルザングでは、乗車したい人はホームに立ち電車に向かって手を振り運転手に気づいてもらわなければならない。今時かなりアナログである。

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フォーゲルザング 駅
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電車は必要な時にしか停車しません、とのこと

驚きの事実

さて、帰宅してからフォーゲルザング村について改めて調べたところ、1952年から森の中に建設された兵舎の町には、軍人とその家族を含む15,000もの人が住んでいたらしい。関係者以外の立ち入りは禁止されており、劇場、商店、オフィス、ジム、学校、医療施設があったという。上空からの写真を見ると、その規模の大きさに驚く(我々は一部の地域しか歩いていない)。そしてさらに驚愕すべきことに1959年の初めには、核ミサイルR-5ポベダ12基が装備されていたというのだ。ソビエト軍の記録によると、核ミサイルは1959年8月に撤去されたらしいが、ちょっと背筋が凍るような話だ。

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ロシア語の看板
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壊れた窓


1994年、ロシア軍の撤退にともない軍の町は部分的に取り壊され、以来現在まで廃墟のまま放置されている。所有主はブランデンブルク州となっているが安全は保証できないため、立ち入りは基本的に禁止とのこと。ただし現地は人が入れないようにはなっておらず、言ってみれば野放しの状態。一部には防犯カメラのようなものが設置されていたが、どの程度機能しているのか疑問だ。廃墟を訪れたい人は自己責任でどうぞご自由に、という来るもの拒まず的な匂いがするが、思いつきとはいえよくもまあ丸腰で行ったものである。


ゴーストタウン「フォーゲルザング 」村を訪れる人は後を絶たない様子だが、数年前に撮られた写真などと比べると基地内の建物は相当劣化が進んでいるようだ。また、木々が生い茂っているため立ち入り禁止の柵を立てる必要もないくらい、このまま自然に飲み込まれ同化していってしまうような気さえする。参考までに2012年のデア・シュピーゲル誌オンライン版の記事をば。リンク先のフォトギャラリーの一番最後に2009年に撮られた基地の空中写真がある。圧巻。

アメリカ個人旅行の罠・ESTA(エスタ)を申請し忘れ、搭乗手続き締切1分前に認証取得した話

2018年秋のことだ。その日私はベルリン・テーゲル空港のチェックインカウンター前に立ち、少し早めに空港に到着できたことに満足しながら定刻通りに出発予定のシカゴ行き飛行機への搭乗手続きを行おうとしていた。普段よく利用する航空会社だったので、勝手を知った顔をして搭乗券を発行してもらおうとしていた私に、係員の男性が尋ねた。


「ハーヴェンジー ESTA?(エスタはお持ちですか?)」

「・・・ヴァスイスダス?(それなんですか?)」

聞いたことがない単語にキョトンとする私に係員の言葉が追い打ちをかける。

「あなた、ESTAを持っていないなら飛べませんよ」


なんでもアメリカをビザなし観光する際にはESTAという電子渡航認証システム(Electronic System for Travel Authorization: エスタ)の申請が義務化されており、それが認証されていないことには搭乗手続きは行えないという。寝耳に水とはまさにこのことで、みるみるうちに血の気が引いていくのがわかった。「とりあえずここに行って訊いてみてください」と親切な係員がメモをくれたので、空港内の別のカウンターへ全速力で駆け息急き切って尋ねるも、そのような手続きサービスは行っていないとのこと。


仕方なくまた全速力で戻りもう一度同じ係員に助けを求めると、エスタはインターネット上で申請できるとのこと。搭乗手続き時間中に認証されるかどうかは分かりかねるがトライしてみては、と言われる。通常は出発の72時間前までには申請を済ましておかなければならないそうだ。


この時点で動悸がかなり激しくなっているが、とにかく情報を、とスマホでエスタのサイトを開き、日本語のページを速読。これならできるかもしれない!と手続きを始めようとした。が、入力項目が多い上、パスポートの証明写真部分のデータアップロードも必要なためスマホ一台では遅々として進みそうにない。「とにかくやってみるから、ちょっとこのスペース使わせてください」とお願いし、キャリーケースからラップトップを取り出し、チェックインカウンターの一角で立ったまま作業を始めた。必死の形相でキーをタッチし続ける私の横を、搭乗券を手にした旅行客たちが談笑しながら次々と通り過ぎる。それを横目に見ながら『この列に加らねば!』と、全神経を指先に集中させ、『必ず間に合う』と心の中で呪文を唱えながらひたすら申請の手続きをすすめる。


スマホで撮ったパスポートの画像データをラップトップに転送し、ファイルをアップロード。申請費用14ドルを支払うためのクレジットカード番号を入力しようとしたところで、係のお姉さんが近寄ってきて


「ヴィア シュリーセン イン フュンフ ミヌーテン(あと5分でチェックインは締め切ります)」


と言うではないか。万事休す。いや、もうすぐ手続きが完了するのであとは認証メールがくるのを待つだけだ。手続き完了。しかし認証までに最大48時間かかると書いてある。ここまで辿り着けたのに、認証まで2日かかるのか?!もはや望みは絶たれた。。待つこと約2分。


諦めかけた瞬間、スマホがブルルと震え、新着メールを知らせた。ESTAからの『渡航許可通知』だった。


「イッヒ ハーベ アイネ ベステーティグング べコメン!!!ベステーティグング べコメン!!!!!!(通知が来た、の意)」


二度叫んだと思う。カウンターを閉めようとしていた係員たちが振り向いて『おお』という表情をしている。興奮しながら通知メールを見せると即対応してくれ、チェックイン締切1分前にして私は無事シカゴ行きの搭乗券を手にすることができたのだった。


こんな時限爆弾処理班の様な仕事をしたことがかつてあっただろうか。危機一髪、寿命も相当縮んだと思う。思い出してもあぶら汗が出る。どうにかこうにか20年ぶりにアメリカの地に足を踏み入れることができたが、空港まで迎えに来てくれたマルコ(日本人・仮名)に開口一番問いただしたのは言うまでもない。「なんで教えてくれへんかったん?」「あーエスタか。ごめん、忘れてたわ」。


旅慣れているから大丈夫だろう、と両者とも過信していたせいで、渡航に関してなんの情報収集・交換もしないままだったのは反省すべきところだ。せっかくのシカゴ滞在が水の泡になるところだった。個人旅行の怖すぎる罠。

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